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2015-01-30 21:46    louis vuittonジッピーウォレット
「ああ、これが今生の別れかも知れへんでな。最後の餞《はなむけ》と思うてな。ま、悪く思うな。貴様も達者でな」  奥村は腕時計を見た。少し痩せた腕に、腕時計の皮がずれて、その跡が妙に白く保郎の目に残った。 「じゃ、元気でな」 「うん、元気でな」  辺りにようやく暮色が漂い始めていた。営庭にはまだ涼を求める兵士たちの影が多かった。 2  先発の保郎たちは、東満洲の図《と》們《もん》に近い常東という地に着いた。幾日も経ずして、奥村たちが同じ東満洲の石《せき》頭《とう》の予備士官学校に落ち着いたことを、保郎は知らなかった。  保郎たち北支派遣軍のほかに、朝鮮や満洲の各地から、若い幹部候補生が集まった。 (えらいボロ服やなあ。保定から来たおれたちは)  保郎が驚くほどに、他の候補生たちは一装用の軍装に身を包んでいる。保郎たち北支組は、八路軍と幾度か交戦し、軍服はよれよれに汚れていた。しかしそれは、保郎たちの誇りでもあった。  入校式の当日、コーリャンの赤飯、芋幹《いもがら》の味噌汁と貧しかったが、それでも尾頭付きの鯛が全員に出された。保郎は、ふっと淡路島や沼《ぬ》島《しま》の生活が思い出された。何か祝いごとがあると、鯛の活きづくりが食膳を賑わしたものだった。父母の顔が目に浮かぶ。かつみ、松代、悦子、寿郎、栄次、そして末っ子のセイ子の顔が、今、目の前に見るように、まざまざと浮かんだ。  保郎は保定から、奉天(現在の瀋《しん》陽《よう》)、吉林、図們を経て、この常東の地に至るまでの間、輸送指揮官見習として、同期生を指揮してやって来たのだ。その姿を、父や母に見せたかったと思いながら、保郎は祝いの膳の鯛を突ついた。  東満洲のこの地では、味噌汁の実は野草が多かった。よくて甘《*かん》藷《しよ》の茎か、南瓜《かぼちや》の茎だった。飯はコーリャンで、極端に食事が悪くなったが、それに反比例して、臨戦態勢の厳しい一日一日が過ぎていた。兵舎内では歩くことは許されなかった。便所に行くにも、他の部屋に行くにも、常に駆け足だった。来る日も来る日も斬りこみ隊の激しい訓練であった。蛸壺を掘り、大《だい》八《はち》車《ぐるま》を戦車に見立てての体当たり訓練、時には実物の手榴弾を使っての訓練だった。すべてソ連軍を仮想敵としての訓練だった。訓練は昼間だけではなかった。突如、夜半に非常呼集のラッパが鳴り響くことがあった。 (昼夜わかたずの訓練やな。ちと訓練のやり過ぎとはちがうか)  保郎はよほど上官に進言しようかと思うことがあった。 (こんな訓練はお国のためにならん)