miumiu 財布新作2012
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null    救われるために  もう二度とそんなこともないだろうという気分の中に永いこといた。息の仕方を忘れるくらい潜り続け、陸上の景色なんか思い出さなかった。私をいきなり引き上げたものは何だろう。腫《は》れ上がった目で肺呼吸を思い出しながら見守った男の顔に、いつのまにか感情移入してしまっていた。何も起こっていないのに、あらゆることを想像しては動悸《どうき》が速くなり、呼吸が荒くなり、新陳代謝が高まる。そして頻繁に排泄《はいせつ》が起こり、食欲はなく、体重が落ちてきた。落ちた重みのぶんだけその男のことを考えていると計算した3キログラムは、生まれそうな胎児だ。その子の名前を仮に猫とする。猫が鳴いたような名前なのだ、私にとって。    猫と初めて会ったのは、突然暑くなった夏の初めのある日だった。お互い頭を下げただけだった。私は手にほおずきの枝を持ち、日傘をさしていた。猫は灰色のシャツに黒いパンツ。ひだり耳のピアスのことはそのときは知らなかった。猫は深々と頭を下げ、運動の得意な少年たちのような挨拶《あいさつ》をした。あとで、それほど動くのがうまい人ではないのもわかったが、そういう挨拶のほうがうまくいく場だということを知っていたようだ。  二度目に会ったときは、河原に座り込んでいた。今度は驚く程寒い風が吹いていて、猫は火に当たるかわりみたいにしょっちゅう煙草を吸っていた。私は用もないのに猫の後ろをうろうろ歩き回り、覗《のぞ》き込み、けげんな顔もされ、それでもそんな自分をそのままにしていた。それがその日の私の仕事だった。  そしてそのときに何か、いかにもなことを彼が言ったのだった。 「若者らしいこと言うなあ」 と私はつぶやいた。  自分で言ったのに、若者らしいってどんな意味だろう、と思った。何か、有り体に言えないことをその言葉と置き換えてしまったのだ。私が本当に言いたかったのは何なのだろう。それはそのあと少しずつちらついてはくるのだが、私は見ない振りをしていた。その答えが出そうになるのを感じる度に、咲きかけた花は臆病《おくびよう》なヤドカリに姿を変え、すばやい後ずさりで貝殻の中に身を隠す。私はなるべく猫の横顔から目をそらす。嫌な予感のする度に、遠くを見るようにつとめたのだ。  私は男の物欲や野心、虫の良い考え、残酷さにこれ以上傷つきたくなかった。そういうタイプではない、と思っていたかった。だんだんとたまっていく悲しい要素に、目をつぶっていたかった。  昔から、もうこれくらいつけあがったら誰だって怒るだろう、というようなことは何度もあった。もちろんその度にその男と別れた。別の考え方もあったのではないか、などとは誰も言えないくらいまで我慢はしたつもりだ。つけあがり始めた男は、たとえどんなに若くても、絶対にもとへは戻らない。もしかしたらあとには引けなくなるように、私が仕向けていたのかもしれない。いつだか、二年もつきあった男に相当ひどいことをされたあげく、 「あんたが自分を強く見せるようにしているのが悪いんだ。金離れがよさそうで、何を言っても傷つかなさそうで、何したって大丈夫そうなんだ。あんたを見ていれば誰だってそう思う。そういうふうに見せるのがうまいのだから、悪いのはあんただ」 と言われたことがある。さすがに懲りてその次の相手からは、泣く程でなくてもわざと泣いたり、弱音を吐いたりするようにと心掛けた。そうでないとますますひどいことになると思った。  しかし、気をつけていてもなかなか結果は変わらない。きっと何かがそういうシステムになっていて、私はそれを望んでいないつもりでいるのに、どこか勘違いをしてて毎回その中に喜んで入って行ってるのだ、そうとしか思えない。私の知らない私はなぜそのシステムに入るのか。つけあがるタイプの男かどうか早めに試して、一生までは台無しにしないためだろうか。男をつけあがらせておいてひどい別れ方をすることが好きなのか。それとも他に何かがあるのか。わからない。それにこういうことを主観的には望んでいないため、毎回私は心からがっかりしているので、年々それに対する抵抗力がなくなっていく。こんなに永く一人でいたのもそのせいだ。もう誰にも触れられないで死んで行きたかった。あなたが? まさか! と何度も言われたが。あなたが? と言われる理由も自分ではよくわからなかった。  今のこの状態をそう言った人々に話したら、「やっぱりね」と言われるのだろうか。そんなにも、私の中にはこういうことに関する中毒性が見られるのか。